最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

  1. TOP
  2. >
  3. 与田凖一記念館
  4. > 与田準一

与田準一

与田 凖一  よだ じゅんいち(1905~1997)

プロフィール

ことりは とっても うたがすき・・・。 童謡「小鳥のうた」の作者・与田凖一は、明治38年福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市)に生まれました。 教え子たちとともに鈴木三重吉主宰の雑誌「赤い鳥」に投稿していた小学校教員時代に、 同郷の詩人・北原白秋に才能を見出され、昭和3年に上京。「赤い鳥」の編集者として活躍した後、 処女童謡集『旗・蜂・雲』を出版します。与田は、白秋や西條八十、野口雨情たちによって拓かれた童謡をさらに洗練させ、 芸術としての童謡、あるいは少年詩として読むに耐えうる〈うた〉へと高めることに心血を注ぎました。
書き手として第一線で活躍する一方、帝国教育会出版部時代には新美南吉をはじめとする書き手たちに出版の機会を与え、 また日本女子大学児童科の講師に就任してからは、岩崎京子、あまんきみこ、 生源寺美子 しょうげんじはるこ、 宮川ひろなどの多くの書き手を育てました。平成9年(1997)2月3日永眠。亨年91歳でした。

 

主な作品

≪童謡・詩≫

  • 小鳥のうた
  • 森の夜明け
  • たかいたかいしてよ
  • 山羊とお皿
  • 空がある
  • 童謡集『旗・蜂・雲』
  • 少年少女詩曲集『野ゆき・山ゆき』
  • 詩集『ゆめみることば』

≪童話≫

  • 五十一番めのザボン
  • 十二のきりかぶ
  • ボタン長者の屋敷跡
  • 小さな町の六
  • クミの絵のてんらん会
  • ハモニカじま

≪全集≫

  • 『与田凖一全集』全六巻

≪翻訳絵本≫

  • フランソワーズ原作
      まりーちゃんとひつじ
      まりーちゃんのくりすます
  • M・W・ブラウン原作
      ちいさなとりよ
      せんろはつづくよ
  • マリー・ホール・エッツ原作
      わたしとあそんで

≪創作絵本≫

  • 幼児の言葉
  • 子供への構想 児童文学論集
  • 詩と童話について

≪評論≫

  • 幼児の言葉
  • 子供への構想 児童文学論集
  • 詩と童話について

≪編集≫

  • 日本童謡集
  • 北原白秋童謡選『からたちの花がさいたよ』

 

生涯年表

明治38年   6月25日(戸籍は8月2日)福岡県山門郡瀬高町に、父浅山与太郎、母スエの二男として生まれる。
大正9年 15歳 下庄尋常高等小学校卒業。
大正13年 19歳 八女・下妻尋常小学校代用教員に採用される。
大正14年 20歳 下妻尋常小学校訓導となる。
ドルトンプランの影響を受けて生徒に自由教育的学習法を試み、
児童の作品と共に自作を「赤い鳥」などの童謡童話誌に投稿する
大正15年 21歳 隣校の水田尋常高等小学校に転任。三月、教職を退く。
昭和3年 23歳 北原白秋からの手紙を頼りに上京。白秋の助手兼長男隆太郎の家庭教師として寄食。
昭和4年 24歳 『白秋全集』(アルス)の校正を手伝う。体調不良のため一時帰郷。
昭和5年 25歳 再び上京。赤い鳥系同人雑誌「乳樹」創刊。赤い鳥社に入社。
昭和6年 26歳 「赤い鳥」復刊第一号を発行。
昭和8年 28歳 赤い鳥社を退く。処女童謡集『旗・蜂・雲』(アルス)を出版。
昭和11年 31歳 帰郷し、野田マサ子と結婚。
昭和13年 33歳 この年を中心とした前後数年間、「コドモアサヒ」(朝日新聞社)、「コドモノクニ」(東京社)などに
毎号童謡、幼年詩、童話を発表し続ける。
昭和15年 35歳 日本文化協会より幼年詩“「山羊とお皿」その他”に第1回児童文化賞を受賞。
昭和16年 36歳 太平洋戦争となる。
昭和20年 40歳 郷里に疎開。太平洋戦争終結。
昭和22年 42歳 家族と共に東京都三鷹市に転居。
昭和24年 44歳 瀬高町上庄小学校の校歌制定(與田凖一作詞、平井保喜作曲)。
昭和25年 45歳 周郷博の斡旋により日本女子大学児童学科(児童文学)講師となる。
以後10年間講師を務める。小学教科書「山本有三国語」(日本書籍発行)編集委員となり、主に詩部門を担当する。
昭和26年 46歳 1月から4月まで、『五十一番めのザボン』を毎日小学生新聞に連載。12月、光文社より出版。
昭和30年 50歳 瀬高町下庄小学校の校歌制定(與田凖一作詞、細谷一郎作曲)。
昭和37年 57歳 日本児童文学者協会会長となる。
昭和42年 62歳 『与田凖一全集』全6巻(大日本図書)に第14回サンケイ児童出版文化大賞を受賞。
昭和48年 68歳 少年少女詩曲集『野ゆき山ゆき』(大日本図書)に第11回野間児童文芸賞を受賞。
昭和57年 77歳 瀬高文化協会が清水寺三重塔前に詩碑建立。
平成2年 85歳 第25回モービル児童文化賞を受賞。
平成9年 91歳 永眠。